高取焼 奇麗さび
秀吉の二度にわたる朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で西国大名たちは、多数の朝鮮人陶工を連れ帰り、藩の産業興隆のために彼らを保護し、各地に焼き物の窯を開かせました。
福岡藩主黒田長政もその一人で、連れ帰った陶工八山(日本名・高取八蔵)に直方市鷹取山の麓、永満寺宅間に窯を築かせたのが高取焼の始まりです。その後、1614年の直方市内ヶ磯、1624年に山田市唐人谷、1630年に飯塚市白旗山へ移窯。この頃、茶人小堀遠州の指導を受け「遠州高取」様式がほぼ完成した。八蔵はこの地で亡くなり、二代目八蔵が1665年に小石原村鼓釜床に開窯。元禄年中(1688〜1704年)に早良郡田嶋に移窯すると共に、八蔵は鼓から通勤しながら御用を努めたといいます。その後明治維新まで高取家は代々福岡藩窯頭取の職務を務めています。
現在、小石原には高取焼の技法を継承する窯元が数戸あり、「遠州高取」の風格を今に伝え「奇麗さび」の世界を展開しています。精密な工程、華麗な釉薬。繊細な生地味。特に鉄・藁灰・木灰・長石を原料とし、微妙な調合で作られた釉薬を駆使して焼成される茶陶類は、気品に満ちあふれています。
寿山窯 十三代目・高取八仙に師事
私(藤崎寿山)清次は小学校の遠足で小石原村を訪れ、その時に見た高取焼の繊細さに憧れて中学校を卒業後に高取八仙氏に師事し陶工の道を歩むことになりました。
修業時代の10年間はほかの小石原焼の窯元で修業している弟子仲間も大勢いてみんなで競い合いながら腕を磨きました。独立後は2年ほど備前焼などの窯元を見てまわり、その後、故郷の英彦山にて(比古焼)寿山窯を開窯。平成4年に現在地に高取焼寿山窯を開窯する。
お茶道具ばかりでなく日用に使う食器類や大ぶりの花器なども手がけています。「高取焼の器は、口当たりなど使ってみて初めてわかる良さがあります」自分なりの工夫を凝らし暮らしの役に立ち日常使っていただけるような器も作っていきたいと思っています。
また、焼き物と通していろんな方々に出会えることが最良の喜びであります。今後ともよろしくお願いいたします。

私もようやく伝統工芸士の仲間入りする事が出来ました。
小石原焼 技と温もり
天和二年(1682年)黒田三代目藩主光之が肥前伊万里の陶工を招き、中国風の磁器を伝え、この頃すでに小石原にあった「高取焼」この窯が交流することにより「中野焼」が形成されていった。昭和の時代に「小石原焼」と呼ばれるようになった。
かっては皿山を中心に八戸で2基の共同窯により、大正から昭和のはじめ頃までは英彦山参拝のみやげの徳利や大型カメ、鉢、皿、すり鉢などの荒物製品づくりがほとんどだったそうです。現在の小石原には50軒にのぼる窯元が国道211号線沿いと発祥の地「皿山」に点在している。
<1958年/世界工芸展でのグランプリ受賞>
昭和33年ブリュッセルで開かれた万国博覧会日本館第三部出品でのグランプリ受賞、昭和36年の日本工芸館小石原分館の設立も今日の小石原焼発展に弾みをつけたようです。昭和50年には通産省の伝統的工芸品に指定される。
生活雑貨としての道を歩みながら、用と美を確立した小石原焼には、飛びかんな、はけ目、櫛目、指描、流し掛けなどの独特の技法が生きています。そして、それが「素朴で温かい」持ち味をだしているのです。多くの後継者や窯元は、そんな伝統の技を大切に受け継ぎながら、小石原焼の発展を願ってさらに「新しい作風」の確立をめざしています。